このオークションの商品は落札されました。

☆山内容堂父山内豊著佩刀☆粟田口吉光 金象嵌銘太刀 本阿弥成應極メ金象嵌宝物太刀☆二尺二寸九分☆愛知名古屋三桁大名登録品☆

登録証
都道府県 愛知県
発行年度 S26 
種別
長さ 弐尺弐寸九分
反り 一分
目釘穴 参個
銘文 表:吉光(金銘)
裏:豊著花押成應花押(金銘)
備考
現在価格 -
入札総数 -
現在の権利者 -
残り時間 入札終了 (詳細な残り時間
終了予定時刻 2013-01-06 21:33:00.0
開始価格 -
即決価格 -
(この金額で落札できます)
落札下限価格 -
自動延長 設定あり
出品者からのお知らせ
  特別重要刀剣合格「倫光」
伝兼光折紙付未鑑定品のご紹介
→保存特保同時合格「倫光」
→昨年重要合格→本年特重一回で合格です
  
3月度審査合格
「水心子正秀 天明二年二月日「」他

おめでとうございます。



  • オークションID:WA00008229
  • 出品者情報(fuji5005)
  • 取引方法(支払い方法)
  • その他購入者が負担する手数料
  • 送料
    • 落札者負担
  • 出品者情報
    販売事業者 fuji5005 藤井
    住所 787-0332
    高知県 土佐清水市汐見町    
    代表者名 22-10 ・
    通信販売業務責任者 藤井 幸美
    電話番号 0880-82-3023
    Eメールアドレス f-5000@cd.wakwak.com
 
☆御刀の詳細☆
詳細な説明文と画像につきましては、後程追加致します。


※申し訳御座いません落札手数料2.5%と送料のご負担をお願い致します(消費税請求無)
※私共出品の御品には全て刀袋が付属しています。刀剣所持者変更はがき同封致します※
※登録証は各都道府県で、鑑定書付きの場合は日刀保で出品前に照合確認済みです御安心下さい。
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~御知らせ~/font>
○こちらのコーナーでは
刀剣類の換金目的委託代理出品を御手伝いさせて頂いております。
≪信頼と実績≫の当方に どうぞ御気軽にご相談下さいませ。≪誠心誠意で賜わります≫
委託販売・研磨諸工作等について詳しくは御電話かこちらまで御連絡の程宜しく御願い致します。 *****************************************************************************
!注意事項!
●評価御入札が少ない場合や即決完売となった時 已む無く取下げさせて頂く事がありますので、
ご理解の上御早目の御入札を頂きます様お願い致します。
●当方の(出品時の不備、破損等)責任となる場合は修繕や返品対応を致します。
●御落札後の勝手な(入札ミス他)お申出は双方に迷惑となりますので御注意下さい。
●当方では優品名品美術品を多く扱いさせて頂いております。その他未鑑定現状品、居合・抜刀用、
研磨練習用、研究参考用等々 其々のニーズに対応出来る御品を同時に出品致しておりますので
お写真を良く御覧頂き、詳しい御方は御自身の御判断で、初心者様には当方所見状態説明を御参考に
して頂きまして 十分御検討の上、ご自身の御納得の責任ある御入札と御取引をお願い致します。

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【商品説明追記】



本作は山内容堂(豊信)公の父である山内豊著公の指料佩刀として
敬う父に容堂が贈られた稀有なる名刀と伝え聞く名刀となっています。
山内容堂の土佐藩主在任期間は嘉永元年12月27日(1849年1月21日) - 安政6年(1859年)2月までであり、
父である山内豊著公は容堂が藩主を終えるのを見届けるように同年他界されています。
山内家の分家筋より宗家藩主の頂きに昇らせしめたのは父である山内豊著公の尽力の賜物であり、
容堂は終世父を敬い、天下第一の吉光を選ばれて父の指料に贈られたものとなっています。
大振りの金象嵌銘吉光の目釘孔の下には 「金在銘極之」 の銀象嵌が施されており、
幕末から明治にかけての光意系当主が、14代「本阿弥成應」であり、時代的にも正しく、
相違のない正真極メの山内家宝物太刀となっています。
吉光は日本三作と言われる短刀の名手で、太刀の在銘品は光徳刀絵図にその押形を僅かに数口残すのみとなっていますが
大阪城落城の際に焼身となり、再刃がなされ所在が不確かなものとなっています。
本作は大磨上無銘の吉光御伝来の御品に本阿弥成應が金象嵌を仰せ付かったものであり、
世が世であれば、目にすることも手にすることも叶わなかった名品となっています。
地鉄は山城伝独特の良く詰んだ板目肌地鉄に沸映り表裏歴然と立ち 匂口明るく冴渡る中直刃が健全に焼かれ、
刃中二重刃 打ちのけ 解れ 金筋が現れる 足 葉が入れられた気品溢れる作域となっています。
光徳刀絵図に焼け身となる以前の吉光の焼刃が書き写されておりますが、
帽子は正しく焼詰風であり、中直刃湾れ心に互の目を交える湾れ刃は正しく瓜二つの出来映えが看取出来るところとなっています。
地刃共に健やかであり、求めて入手し辛き無二物宝物御大名太刀となっています。
土佐は刀剣王国と言われ、山内容堂が指料とした兼光は「大兼光」と称賛され、
徳川家康が人伝に供出を差し向けるものの「土佐一国とも代えがたし」と拒まれた故に
「一国兼光」の号が付けられた程の愛刀家でありましたが、幕府が滅んだあとは
携えた「正宗」の佩刀も宴席にて土佐藩御抱絵師に与える等、大らかな人柄であり、
酒宴の席 荒木寛畝の義兄で酒宴に同席した荒木寛一に
酒の酔いの回った容堂公は「この刀は余にとってはもう重くなった。そちに取らせる」と言い、
荒木寛一に刀を持たせ、寛一は「有難く頂戴仕ります」と冗談と思い、一応我が家に持ち帰り
翌朝お返しに行くと「そちの差した刀を余が差せるか」と笑って受け取らなかったと言われるのが「河合正宗」で御座います。
寛一は明治五年に容堂他界後、無用の長物とばかり河合正宗を売りに出し、
当時の太政官出仕であった福地源一郎がそれを入手愛蔵され、明治22年に歌舞伎座創立に当り手放し
明治天皇の侍従萩昌吉の手に渡り、明治二十六年頃網谷惣右衛門が買い取り、
アメリカのトーマス・イ・ワカマンが入手し、ワカマン没後はニューヨークの富豪が落札、
その死後昭和十三年競売に掛けられ、大沼某氏が購入太平洋戦争勃発直前日本に持ち帰ったとされていますが、
現在の行く先はわかっておりません。
以上刀に纏わるエピソードに事欠か土佐藩主山内容堂公所縁の父上に贈られた御大名一口無二物名品となっています。

寸法   元幅:約3.04cm 元重:約7.1mm 先幅:約1.95cm 先重:約3.9mm





差裏の樋中にミリ単位の炭篭りが一処、地に僅かなミリ単位以下の点錆痕が見られますが、
鑑賞の妨げとなる疵欠点はありません。
又、樋中の炭篭りも部分研ぎを含め三万円程度にて改善できるものと思われます。
御希望であれば、代行させて頂きます。




持ち手の御都合により、ハバキ元より一尺強の部分まで刃引きが施されています。