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「乃木遺墨展覧会天覧」宝物遺墨 将軍乃木希典 坐忘最愛短刀☆三条宗近☆葵文散一作短刀拵☆明治43年4月7日付肉筆書簡 肉筆三行書

登録証
都道府県 兵庫県
発行年度 S26 
種別 短刀
長さ 八寸七分
反り 一分五厘
目釘穴 二個
銘文 表:宗近
裏:
備考
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現在の権利者 -
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終了予定時刻 2013-03-24 21:55:00.0
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出品者からのお知らせ
  特別重要刀剣合格「倫光」
伝兼光折紙付未鑑定品のご紹介
→保存特保同時合格「倫光」
→昨年重要合格→本年特重一回で合格です
  
3月度審査合格
「水心子正秀 天明二年二月日「」他

おめでとうございます。



  • オークションID:WA00012418
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    販売事業者 fuji5005 藤井
    住所 787-0332
    高知県 土佐清水市汐見町    
    代表者名 22-10 ・
    通信販売業務責任者 藤井 幸美
    電話番号 0880-82-3023
    Eメールアドレス f-5000@cd.wakwak.com
☆御刀の詳細☆
本作は 陸軍大将 乃木希典が、部下で直属のNo2である 陸軍中将 山田隆一に宛てた書簡と、
三条「宗近」在銘の由緒正しき御短刀と、唐時代の詩人である「王維」の遺した「終南別業」の
一節「行到水窮処 坐看雲起時」にしたためられた乃木将軍の肉筆三行書の三つの御品が其々御箱に収められ、
かけがえのない遺品として山田隆一陸軍中将の御手元に近世に至るまで大切に保管が成されていた御品であり、
本作は全て「乃木遺墨展覧会」に於いて天覧の栄誉と公に広く民にも見て戴いた御品となっています。
乃木希典大将の現存された遺品は決して多くは無なく、愛用されていた眼鏡と懐中時計、
及び 自決に用いられた御刀と御短刀、着衣、遺墨等が遺されておりますが、
それらはごく僅かな限られた遺品であり、乃木宝物殿に保管が成されています。
世界的評価も、乃木希典将軍は敵国ロシアに於いてでさえも最上の賞賛を惜しまず、
世界各国からもその殉職を惜しむ報道がトップニュースとして伝えられたものとなっています。
日本の有史の中でも最も民に愛された軍人であり、その葬儀に自発的に集まった民衆は十万人を超え、
世界各国よりの重鎮の参列を我が国で初めての「世界葬」の様相を呈した葬儀とされています。
本作は一個人が所有されるべき御品とは解釈しておらず、永年に亘り優れた保管設備の整う
国立博物館等に所蔵されるべき御品ではないかと確信する処で御座います。
本作所蔵品の一つである在銘「宗近」短刀は、乃木希典直筆書簡にしたためられておられる通り
  「西南戦争当時小倉ニ於テ求メ其後 日清 日露 南波ニモ護身用トシテ
   携帯セシ由緒アルモノ今後貴下御手元ニ今一度云々」
及び直筆の三行書の詩が別途御送付された旨等がしたためられており、
乃木将軍は名人天皇が明治45年7月29日に崩御され、同年9月13日の大喪の礼が行われた日の
午後8時頃にその後を追い、殉職なされています。
遺書は、西南戦争時に連隊旗を奪われた事に対する償いと述べられておりますが、
西南戦争の後には、日清 日露戦争を生き抜かれており、明治天皇の御伴を望んで旅立たれた結果であったと思われます。
そして又、夫人の帯同を望んだものではなく、御夫人は自ら運命を望んで共にされたものと思われます。
乃木将軍が述べらている由緒正しき御短刀である「宗近」在銘短刀は平安期の作者として知られ、
その現存作は太刀 短刀に限られ、又、その在銘作品は殊の外少なく、約900年を経過したカリスマ刀工であり
持ち手に相応しい御品が護身用として数多の大戦を共に潜り抜けられた御短刀であり、
明治43年4月7日に自らの生死を乗り越えた強運の愛短刀を
山田隆一陸軍中将に持ち手を選んで授けられたものとなっています。
本作「宗近」が収められた時代拵は刀装具と鞘に部分に金銀の葵文金具が象嵌された合口短刀拵であり
刀装金具の保存状態は健全でありますが、小尻近くの側面の漆塗りに若干漆剥げが生じています。
補修は比較的安易に出来ますものの、このような御品について日本が誇る英雄の指料につきましては
如何なる手を加える事も慎重を期すべき宝物であると思われます。

寸法   元幅:約2.85cm 元重:約5.7mm

*以下は参考文献資料で御座います。合わせて御覧頂ければ幸いです。

乃木 希典(1849年12月25日) - 1912年9月13日)
日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。
階級は陸軍大将。栄典は贈正二位・勲一等・功一級・伯爵。
第10代学習院院長。家紋は「市松四つ目結い」。
幼名は無人(なきと)で、その後、源三と名を改め、頼時とも称した。
さらに後、文蔵、次いで希典と名を改めた。
また、出雲源氏佐々木氏の子孫と称したことから源希典との署名もよく用いた。
号としては、静堂、秀顕、石樵及び石林子を用いた。
「乃木大将」または「乃木将軍」などの呼称で呼ばれることも多い。

山田 隆一(1868年9月2日 - 1919年3月8日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
山口県出身。山田貢四郎の二男として生まれる。
1888年7月28日に陸軍士官学校(旧10期)を卒業し、陸軍少尉に任官。
1891年11月、陸軍大学校に入学したが、日清戦争出征のため中退。
戦後に復校し、1896年3月、陸大(10期)を優等で卒業した。
後備歩兵第6連隊中隊長、参謀本部付、軍務局課員、ドイツ駐在、軍務局課員(軍事課)、
兼梨本宮守正王付武官などを歴任。日露戦争に第2軍参謀として出征。
その後、軍務局課員、近衛歩兵第3連隊長、陸軍省副官、
軍務局軍事課長などを経て、1911年9月、陸軍少将に昇進。
歩兵第11旅団長、陸軍歩兵学校長、軍務局長、陸軍次官などを歴任し、
1916年8月、陸軍中将に進んだ。1918年10月、第5師団長に就任したが、翌年3月に現職で死去した。

乃木神社・乃木宝物殿
設立経緯
 大正2年に乃木将軍夫妻を祀り国民崇敬の祠とすることを目的として、
東京市長阪谷芳郎男爵を会長として中央乃木会を設立し、
乃木神社の設立を申請し許可を受け、乃木邸の隣地(木戸侯爵邸の一部 及び一部民有地)を購入し、
鎮座の地(現在地)とする。御鎮座60年祭にあたる昭和58年宝物殿が竣工される。

所蔵品と展示の概要
 明治天皇に殉死した乃木将軍夫妻の遺品等が展示されている。
夫妻の遺品等(展示資料)を展示することにより、その事跡や人柄を通じて、
現代では希薄な「誠」の精神を伝えることが目的とされている。
主な資料は「御祭神(乃木将軍)遺言條々」「御殉死の刀」
「御愛用の単眼鏡」「遺墨」「御夫人(乃木将軍夫人)御愛用の品々」等である。
展示室は常設のみで、不定期ではあるが展示替えを行っている。
資料の貸し出しも行っており、資料管理は帳簿からデータベースへ切り替えている最中で、管理体制の強化を図っている。
 また、乃木神社の境内地が乃木将軍夫妻の居住地であったため、
当時の住居であった母屋と厩を「旧乃木邸」として野外展示している(港区指定文化財:昭和62年)。


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※申し訳御座いません落札手数料2.5%と送料のご負担をお願い致します(消費税請求無)
※私共出品の御品には全て刀袋が付属しています。刀剣所持者変更はがき同封致します※
※登録証は各都道府県で、鑑定書付きの場合は日刀保で出品前に照合確認済みです御安心下さい。
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【商品説明追記】
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 研磨練習用、研究参考用等々 其々のニーズに対応出来る御品を同時に出品致しておりますので
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して頂きまして 十分御検討の上、ご自身の御納得の責任ある御入札と御取引をお願い致します。