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刀 在銘「金研 正秀」 拵え付き

登録証
都道府県 福島県
発行年度 昭和29年3月10日 
種別
長さ 二尺二寸六分
反り 五分五厘
目釘穴 1個
銘文 表:表 金研 正秀
裏:
備考
現在価格 -
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現在の権利者 -
残り時間 入札終了 (詳細な残り時間
終了予定時刻 2013-03-01 20:16:00.0
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落札下限価格 -
自動延長 設定なし
【鑑 定】 未鑑定
【元 幅】 3.22cm
【元 重】 0.72cm
【先 幅】 2.12cm
【先 重】 0.60cm
【ハバキ】 一重
【時 代】 昭和刀 
【見 所】 小板目肌つみ、地沸細かに厚くつき、地景よく入り、強い鍛えの肌合いを呈す。
直刃小乱れてのたれ、小沸よくつき、匂い口明るく冴える。
帽子大丸に返りる。又、見事に引締まった姿となっています。
【研 ぎ】 研ぎの状態→古研ぎ 錆あり
【中 子】 生ぶ在銘 
 




日本国内での使用を前提に造られた古来の日本刀は、寒冷の満洲や北方の戦線では脆さ※を露呈して使用に耐えられなかった。
青山橘(永十郎)正秀は、明治中期の著名刀匠青山永造青龍齊橘光秀の子息で、早くも20代の青年期に日本玉鋼の鍛錬極意を許された刀匠だった。                                       ※低温脆性は「将校用軍刀の研究」古来日本刀の弱点参照
当時、金属材料では東北帝国大学金属材料研究所が頂点に君臨していた。永十郎正秀は従来の日本刀の鍛錬に飽き足らず、
科学的日本刀鍛錬の大家として世界的に名声の高い「本多鋼」の創製者で東北帝大総長・本多光太郎博士の研究に惹かれた。
その為、仙台市工業学校に入学。日本鋼の実地と学理を研鑽し、大正12年、東北帝大金属材料研究所に入所した。
正秀の卓越した技量は本多博士に認められ、刃物研究部指導員に嘱託された。此処で鉄鋼学の一層の研鑽を積んだ。



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